「ネルソン・マンデラに会いたい」
選挙権を得た時から、これまで全ての選挙を棄権した事はありません。しかし、えらそうに聞こえますが毎回投票先に困ります。心から投票したい候補者や党がないのです。1945年の普通選挙法施行に至るまでの選挙権獲得の過程で、多くの方々、その中でも女性の方々の苦労と努力を考えれば選挙にいかないという選択肢は私にはありません。
「権力は腐敗する」「人は誰でも変節する」そんな思いを抱きながら政治家の方々をずっとみてきました。今回石破さんにちょっと期待をもってしまった自分のバカさ加減に嫌気がさします。せめて総裁選で主張していた能登への援助は国をあげてやりとげて欲しいと思います。福島第一原発でふる里を追われた方々、今も原爆症で苦しんでいる方々、障害があってもけんめいにがんばっている方々、様々な要因で生活が困窮されている方々、等々へ私達が納めている税金を手厚く投入しても大多数の国民は反対しません。又、先日行われた兵庫県知事選挙で斎藤さんや立花さんのように人の死をなんとも思わない、それどころか死を弄ぶような方がいることは仕方がないとしても、多くの人々が支持した事を危惧しています。毎日毎日戦争で何人死んだという報道を見聞きしているうちに、知らず知らず私達日本人の死に対する感性が麻痺してしまっているのではないかと思うとなんとも言えない気持ちになります。森友学園問題で自死した赤木俊夫さんの死も犬死になってしまうのでしょうか。
権力の座についても何ら変わらなかった、国民奉仕を貫いたとする私のネルソン・マンデラさんに対する評価が正しいものとして、日本にマンデラさんが現れないものだろうかと思います。そう書きながら自分の考えの誤りにすぐ気がつきました。幸いにも私が生まれ生活する日本は国民主権の憲法を持っている。マンデラを生みだすかどうかは西口健、おまえの責任、日本国民がやるべきことなんだぞと思いかえしました。
いしじには政治のことは一切持ちこまないと決めて、実行しています。職員さんや利用者さんには各々考えがあり、当然尊重されなければなりません。利用者さんには「選挙に行って下さいね」とだけおねがいしています。
自分で読み返しても思いますが、怒りにまかせての文は、みぐるしく不愉快だとは思いますが、残り少ないじいさんの愚痴だとお許し下さい。