食の記憶
鳥取県大山の麓で暮らす妻のお母さんの作ってくれるごはんが好きです。お母さんのごはんはなにもかもうまいですが、その中でも絶品は大山おこわです。もち米に近くでとってきた種々の山菜を加え味つけした汁をかけながら蒸すおこわです。滋味あふれなんともいいがたい味です。
父は包丁が上手でした。今ではみかけないこんな大きな鯖をさばいていました。三枚におろした魚にこれでもかという程塩をまぶしてしめていました。今でも家にありますが、大きなすし桶で鯖の押し寿司を作ってくれました。重しをして一晩ねかします。京都いづうの鯖の押し寿司は食べたことはありませんが、多分父の押し寿司にはかなわないと思います。
母は慈しみあふれる人でした。4年前心筋梗塞で急死した息子健一が子供の頃、魚つりに行く時はいつもしゃけのおにぎりを健一の友達の分も作って持たせてくれました。母は若い時からずっと呉服の行商をしていました。毎日忙しかっただろうと思いますが、僕の安物の釣り竿の袋をぬってくれました。当時そんなものを持っている子供は誰もいませんでした。誰にも言いませんでしたが僕のひそかな自慢でした。蝉を取る布の網も作ってくれました。蝉を取る網は小さくても大きくても駄目です。絶妙の大きさの網でした。母の料理はどれも大好きでしたが、その中でも毎日たく茶がゆの味が忘れられません。母は僕が眠る時にはいつもなにがしかの仕事をしていました。朝起きた時には食事の支度をしていました。母は一体いつ眠るんだろうかと不思議に思いました。話はそれますが、子供の頃母の膝に頭をおいて耳そうじをしてもらうのが好きでした。今考えてもあれ程の至福の時は他にありません。
毎朝利用者さんのみそ汁を作っています。利用者さんの喜ぶ顔が僕の喜びです。僕の作ったみそ汁の味が利用者さんの僕の記憶としてきざまれればこれ程の幸せはありません。